テーブルの上のコーヒーカップ

 

前回のブログに書きました 感情のクリーニング(吐き出し)の方法 

ですが、私自身この方法で、顔も見たくなくなってしまった相手に

感情の乱れがあまりない状態でまた会うことができるようになった経験があります 。

(一回スッキリしてもまだある、また日々沸いてくる場合があるので、クリーニングは定期的にやっていくとよいです。)

 

自分一人なら、その方とは会わないという手段もとれますが、関係性上

簡単にそうはいかないということもありますよね。(パートナー・家族・友人など、気持ちを伝えて相互理解をはかることが必要な場面は別にありますが)

客観的に考えれば、その場で気持ちをなんらか表現できれば、そんなに積もることはないように思えますが、

長期の関係性で相手の考えもある中で、波風をたたせることになれば、エネルギーを使って辛くなるという場面はあるものだと思います。

 

その方を好きになることはできなくても、その方との間で起きてきた感情を吐き出し(ワークにより)、その後に

自分の求めていることを理解する機会にはなりました。

 

同時に、人の嫌な部分は自分の中にもあるもので、自分も同じ部分・同じことをする可能性があることがあって

その許せない自分に嫌悪感が出て、嫌いな人、その人の嫌いな部分、という認識になるということ。

 

無意識に我慢をすること(こういう場面ではこうすべきという制限)が多い場合は、空気を読まず自由に行動する人を見れば腹が立ち、イコールその人は嫌いな人になる場合もあるかもしれません。

 

私自身、気持ちを話した時にそうなんだねと受け取ってほしいという気持ちが強く、

受け取ってくれた様子もあまりなく、そこに毎回違う意見を言われると、自分の意見を否定されたように感じるということがありました。

こちらの受け取り方(相手は否定するつもりはないがそう受け取る)の部分と、

相手にも受け取ったという、そうなんだねと一旦受け取る言葉を求めるなど、思ったことをその場で伝えて解消する方法もありますが、

なかなかその場ですぐ説明しても分かり合うことができない・したくない場合も多く、スルーしますがあとから嫌悪感が沸いてくる感じがします。

またはその場で、自分の中でつかめないので言葉にできないことであとでモヤモヤすることもありました。

 

私の例でいうと、相手(他の人)はその人なりの受け取り方をするし、意見があるのは当然で、

違う意見を主張してくることはこちらがコントロールできるものではないですよね。

相手にではなくても、感情を出すことができればしこりになることは少ないように感じます。

 

嫌悪感が出たサインによって、相手を変えるより、自分が何を求めていて、何が許せないのか、自分に何を制限・禁止しているのか

自分を理解する機会にするようにしています。

 

自分の求めていることをつかんで、”許せない相手(自分)”はどういう部分があるのかを確認し、

その部分は戒めにするパターンもありますが、人間誰の中にもあるものとして許しておくと自分にも人にも優しくなれる、楽になることが多いと思います。

許せない部分を許す言葉に変える(空気を読んで発言すべき→自由に自分の意見を言ってもいい)

これは実際にそうなってもいいと思えなくてもいいので、言葉を変えて、縛りの意識を解くことで気持ちを緩めてバランスをとることが狙いです。

 

いろいろな年代、価値観、成長の度合いの人が混ざりあう中で、

些細なことでも積み重なれば、負の感情はいつか爆発しそうになってくるものです。

そういったときは、吐き出しをした上で、自分の言い分を理解してあげてほしいものです。

 

相手と実際に対峙するばかりが解消の方法ではなく、

自分の捉え方、本心を恥ずかしがらずに見つめてみることで楽になってくることがあります。

大人になっても、子どものように嫌なことは嫌な自分がいるのは当然のことだと私は思います。

その本心を自分が自分にわかってあげること、その上でどう行動していくかということでしょうか。

 

嫌いな人は、(無理に好きになる必要はないと思いますが)自分について理解する機会を与えてくれる人なのかもしれませんね(^^)

人間であるかぎり、日々いろいろなテーマが出てくるものだと思います。

「こんなことで悩んで」と自分を否定せず、これは嫌だという気持ちも大切にまずは理解し、偏りがあれば緩めて

自分や相手と付き合っていくとよいですよね。

 

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青柳裕美
青柳裕美心理カウンセラー
皆様のこころのサポーターとして、いつもここにいます

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