「泣いた時」といって、思い返す
印象的な場面は2つあります。

18歳のもうすぐ高校を卒業するというころ、
友達にそれまで(過去)の話をしていた時に
涙が止まらなくなったことがありました。
一度流れ出した涙を自分で止めることができない
感覚ってあるんだなと感じました。
友達は私がすごい勢いで泣き続けていたので
どうしたの?!とびっくりした様子でした。
その時はその友達に上手く説明はできませんでした。

これは今思えば、幼少期からの我慢や
家庭で感じないようにしてきた寂しさ、
部活動で自分で自分の精神を追込んだこと
体罰や様々なことで自己肯定感がさらに低くなり
辛かったことや消化できない感情が積もっていき
自分の中でもう持ちきれなくなってしまって、
小・中・高と続けてきたスポーツを辞めた頃から
それらが堰を切ったように出てきたのでした。

もう一つは、23歳ごろ友達と居酒屋でのこと
いろいろ深い話になった時
人目もはばからずというか
制御できずにしばらく号泣し
しばらく涙が止まらなかったこと

このころは、10数回通ったカウンセリングも
終了した頃だったかと記憶しています。

その前後もアダルトチルドレンのワークや
癒しのワークなどで泣くことは結構ありました。
20代の中盤までは、どれだけ泣けば癒されるのか、
切りがないように感じていましたが
20代後半、30歳になるころには、
あまり出なくなってきました。

自分でも自分の気持ちに寄り添って
自分の軸となる部分を育ててきて
私の人生の目標は、ある時から
自分を幸せにするということで
今はもう幸せだと言えますが
それは今でも進行形で意識し続けて
大切にしていることです。

過去の自分の辛さを表出させる意味で
涙をたくさん流していた時間は
たしかに長く(数年)ありました。
いつになったら涙が出なくなるのかと
感じた時期もありましたが、
今となっては、そういう意味での涙は出ませんし、
続けていけばいずれ癒しは完了するんだと思います。

それは、泣くことを悪いこと、良くないこととせず
泣いてもいいんだと、自分に泣くことを許して
どんな感情を持ってもいいとして、
吐き出す時間を作ってきたからだったと思います。

感じないようにしてきたことにアクセスして
それを確認・体感する作業は簡単なことではないですが
自分の本当の声、感覚を置いてけぼりにしない
という意味で自分のすべてを受け入れることに繋がる
大切な時間なんだと実感しています。

あなたの中の幸せの場所へ

青柳裕美
青柳裕美心理カウンセラー
皆様のこころのサポーターとして、いつもここにいます

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