私は繊細さは、才能だと思っています。
いつの時代も、繊細な感性が素晴らしいアートを生み出してきたということもありますし、
特に作品を生み出さなくても、内面で多くの事を感じて、感動したり、
人に寄り添ったりできる豊かな感性を持っているということだと思います。

共感性の高い人、オリジナリティーあるものを生み出す人、センスがある人は、
同時に敏感にいろいろなものをキャッチするアンテナを持っていて
それは時に、気にしやすいとか、精神的に弱いと定義されてしまうことがありますが、
ご本人の見様・受け取り方によっては、定義したまま、
いかにもそのようになってしまうから不思議なものです。
(定義すればそのようになっていくというのは、どこに視点を当てるか、
どんな定義を持っているかによって、脳の集める情報が変わってくることによります)

繊細な人は、自分を弱い人間と定義してしまうことも
(周りから言われてそれを受け入れてしまうなど)
あるだろうと思います。

たしかに、疲れやすかったり、人に合わせられないということもありますが、
人によってできることできないことが違うように、その人にあった生活リズム、
働き方、生き方をすることを自分に許していくことで、
生きやすい状態を作っていくことはできると感じています。

気にしやすい=弱い。もっと強くならなければいきていけない。などという言葉によって、
自分は弱い人間で、だからもっと強く、気にしない人間に変わらなければならないとすることで
余計に弱い自分に直面することが増え、ますます自己否定が加速する状況になることがあります。

いつからそう思ったのかを振り返ると、例えば両親の言葉、その言葉のニュアンスも含めて感じ取り、
そこから、自分の繊細さがいけないこと、ダメなことなんだという定義になってしまうこともあります。

気づいた時に、改めて自分は、自分の繊細さを、今後はどう捉えたいのか、定義したいのか
自分の中で見つめ直してみることが大切だと感じます。
様々な思いで溢れていて大変な時期に、何かの定義を変えることは難しかったりしますが、
少し余裕がでてきた時点で捉えなおしはできるようになっていきます。
私自身見つめなおした際には、繊細な感性、共感力は素晴らしいものだという気持ちが沸いてきて、
今後はそう定義することに決めました。

繊細な自分を好きになれない時というのは、あるかもしれませんが、
繊細に生まれたのにも理由があるかもしれませんし、
だからこそ良かったことがきっとあるに違いないと私は思います。

自分の中にある定義を、(その定義が苦しいと感じるのでしたら)一から本当にそうか
客観的に捉えなおしていくことは、タイミングを見てできていくことだと感じています。

あなたの中の幸せの場所へ

青柳裕美
青柳裕美心理カウンセラー
皆様のこころのサポーターとして、いつもここにいます

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