私の20歳の頃といえば、外語専門学校の2年生でした。
東京の三鷹市で寮生活をしていました。

就職活動もみんなはじまってるというのに、やる気も出ず、
将来には不安しかなかったのでした。
(表面的には、いくつか就活してみましたが、気持ちがついていかないことで、
精神的に不安定になっていった記憶があります。)

小、中、高とスポーツ中心に、目の前の大会や、技術的に上手くなることなどの目標をもって、
それを生きがいにしてきた私も、もう充分にやりきった感があったので、
専門学校では運動から離れ、初めて将来のことを考える時間を持ちました。

ただ、そのころに、周囲とのコミュニケーションで、相手の思っていることを想定して、
相手の気持ちがOKの状態を優先してしまい、相手がOKな気持ちでなさそうだと
不安になってしまうようになり、自分のコミュニケーションの異常さを感じたり、
自分が何を言いたいのわからなくなる(自分の意見がでてこない)ことも多くなりました。

9年続けてきたスポーツ(サッカー、バスケットボール)をやめて、やや燃え尽き感は感じていましたが、
それ以外にも、専門2年の時に抱えてしまった金銭的な負担によってさらに不安は大きくなり、
うつの診断を受けるに至りました。

軽いものではありましたが、うつの診断をまさか自分が受けるとは、
「そんな状態にまでなってしまったんだ」というショックとともに、
なんだか少しほっとしたような気持ちでした。

そのころ、雑誌の記事にアダルトチルドレンのことが書いてあるものを読んで、
自分のことだと感じて衝撃を受けました。

その後、薬を飲んでも解決にはならず、医師に勧められたのが切っ掛けで、
20歳の終わりごろから22歳ごろまで、何度かカウンセリングに通い、
心境や行動も変化していきました。

当初はこのままでは前に進めないという精神状態で、話したくはないけど、
とにかく思っていることを、カウンセリングで吐き出していくこと以外にできることがありませんでした。

育っていく中で積み重ねていた我慢と、自責の念、育った環境を客観的に振り返ることや、
自分の受け取り方、思い込みを含めて、なぜ今苦しくなっているのかを、
立ち止まって振り返る必要があった時期でした。

22歳ごろからは両親とのわだかまりも解けはじめ、急にやりたいことがいろいろと出てきて、
自分の心の声に従って生きはじめたことで、引き続き大変なことはありましたが、
そのころから少しずつ生きやすくなっていきました。

20歳頃の数年間は、私にとって人生で最も精神的に不安定な時期でしたが、
何事にも終わりがあるもので、そのトンネルを抜けることができて、
なんとか生きていることができて、今は、本当に良かったと思っています。

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青柳裕美
青柳裕美心理カウンセラー
皆様のこころのサポーターとして、いつもここにいます

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